【応答せよ1988】最終回から学ぶ人生の儚さ
こんにちは、テジです!
みなさんは、『応答せよ1988』という韓国ドラマを観たことがありますか?
当ブログでは、もう何度も何度も取り上げているドラマですが、今回はそんな『応答せよ1988』の最終回についてのお話です。
ドラマの細かい内容に触れますが、ドラマの結末などに関わる大事な部分のネタバレとなるような内容は避けています。
はじめに
ドラマにおいて、エンディングはとても大事。
たとえ最初から中盤、序盤にかけて最高なドラマでも最後で一気に冷めてしまうこともあります。
『応答せよ1988』は、個人的に本当に大好きなドラマで、主人公ドクソンの相手が自分の希望とは違っていたことはさておき、終始名シーンの連続で、いまだに個人的韓国ドラマベスト1に君臨しています。
このドラマをこんなにも愛おしく思わせてくれる要素は数え切れないのですが、その中でも最も大きな一つがこのドラマのエンディングです。
『応答せよ1988』は、ソウルの双門洞という架空の地域に住む5人の高校生とそれぞれの家族の日常を描いたドラマなのですが、全20話、且つ、各話1時間半近くあるこのドラマを見終える頃には、もうメインの5人、そしてその家族たちと一緒に双門洞に長く住んでいたような気分になるわけです。
それなのに、最終回の最後の最後には、それぞれの家族が双門洞からそれぞれ引っ越していき、双門洞は人気がなくなり、どんどん寂れていくという姿が描かれる。
もう、このドラマにどっぶり浸かってしまった人間にとっては、もう切ないったらありゃしないわけです。
でも、その切なさが本当にリアルで、自分を含め、ほぼ全ての人がきっと人生で経験している切なさなんじゃないかと思うのです。
では、一体それはどんなものなのでしょう?
最終回から学ぶ人生の儚さ
「あの時、あの場所」には一生戻れない
何もわからずただ遊んでは寝て食べてを繰り返していた幼少時代、友達とわちゃわちゃしていた学生時代、猛烈に勉強した受験期、社会の荒波に乗り始める20代、色々なことが落ち着き始める30代など。
これはあくまで一例ですが、人間はそれぞれ人生の中でライフステージがあり、そのそれぞれのステージで、特定の場所で、特定のコミュニティーの中で時を過ごしています。
そのどれもが、その時にしか存在しないもので、後から戻ろうと思っても戻れない。
そんな儚さがあります。
『応答せよ1988』では、まさにメインの5人の高校生の青春を存分に描いているわけですが、最後には、そのメイン舞台となる街が廃墟のようになっていくのを描き、輝かしかったその時代、美しかったその時は、決して戻れないものだということを強く訴えかけてくるのです。
親にとっての戻れない時代
『応答せよ1988』の特別なところは、メインの5人の高校生の物語と同じぐらいの熱量で、それぞれの親たちの物語が描かれている点にあります。
子供が青春時代を送っている中で、親たちは親としての悩みを抱えていたり、はたまた自分の親の死に直面したり、更年期を迎えていたり、親同士でどんちゃん騒ぎをしてみたりと、親は親で特別な時間を過ごしているのです。
それは、華やかでドラスティックな高校生の青春と同等に、しっかりとフォーカスされるべきものであり、このドラマをそれをやってのけてくれているのです。
『応答せよ1988』を観ていると、自然と「自分が子供・学生だった時に、親は何を考え、どんな想いを持って生きていたのかな」という気持ちになります。
そして、老いていく親を目の当たりにしながら、あの頃の若くて力強かった親にもう一度会いたいという気持ちにもさせるのです。

自分にとっての戻れない時代は、自分の親にとっても戻れない時代なんだね。
さいごに
いかがでしたでしょうか?
今回は『応答せよ1988』のエンディングについてちょっと熱く語ってしまいました。
『応答せよ1988』を一度観たことがある方、ぜひこれを機に二周三周としてみてはいかがでしょうか?

